
まだベーチェット病だとわかるずっと前。
私が25歳頃の話。
今からもう十数年も前になるのですね。
病気との戦いは、あっという間に過ぎてきました。
若かった頃の私は、アイドルや女優などの写真集の出版物を制作する会社で、
アシスタントディレクターとして勤務していました。
有名アイドルグループのライブツアー写真集がメインの会社でした。
正月公演が毎年あり、年末は31日まで準備して、
年始は2日から1日3回公演のライブツアー撮影のディレクション。
長くハードな撮影が終わっても、出版が終わるまでが仕事です。
長期戦の制作が続いていく毎日でした。
自分より10以上も若い年齢のアイドルたちに気を遣い、体を使い、
心身ともにオアシスを求めるような気持ちがどこかにありましたが、
どこにも逃げ場もなく……。
風邪をひいている余裕もないのに、倦怠感が抜けないようになっていたのはこの頃です。
寝ても、ぐっすり眠れない。
それよりも寝つきが悪い。
口内炎が頻発して食事もままならない。
プレッシャーと背中合わせだったので、ストレスを常に感じていたようです。
喫煙量も増えていました。
仕事から逃げたいと思うようになってから、謙虚に体に変化が。
謎の40℃を超える熱が続くようになりました。
制作会社なのに、社員が私含め2人。
休めば相方に迷惑をかけてしまう。
今思うと、かなり頑張っていましたね。
高熱が続くと、本当にだるくて仕方がない。
集中力が切れる以前に、悪寒と震えで仕事にならないんです。
どうしても辛くて、社長にお願いして病院を受診したり、
相方に謝って会社を休んだりしていました。
普通の会社なら有給休暇があるのですが、私のいた会社では夏休みが有給休暇です。
しかも、夏には夏でライブツアーがあるので、梅雨時か初冬に取るのが暗黙の了解。
休みたい時に休めないのって、とてもしんどい。
でも、私が頑張れていたのは、写真集という目に見える形になって出来上がる喜びや、
達成感が自分を支えていたからだと思います。
たびたび高熱が出ると、必ず喉が腫れる扁桃炎にかかっていました。
病院を受診するたび、高熱が続くことに医師が首を傾げていたのが印象的です。
頻繁に高熱で具合が悪いと訴えれば、
怠けたいだけなんじゃないかと不信に思われるにちがいない!
そう思って、じっと耐えていた時もありましたね。
私のベーチェット病の軌跡は、
幼少期の口内炎から始まり、20代の扁桃炎と高熱へと続いてきました。
確定診断に至るまでの道のりは、まだ長く遠く続きます。