
私の人生では、
何人かのハンディキャッパーに出会いました。
でも、どの人も前向き。
そして、自分をハンディキャッパーだなんて思わない。
きっと、この言葉自体が、
偏見や壁を生み出しているんだろうなって思います。
だって、出会う人たちみんなが、
とっても幸せそうで、自分の人生を謳歌しているのだから。
生まれつき障害を抱えている人。
生まれつきっていうのは、性格と同じなんだと思う。
もしかしたら、
これから私だってベーチェット病が悪化して、障害を持つかもしれない。
その時、この人たちのように振る舞えるだろうか。
すごく自信がありません。
体に障害を持っている人、見た目にはわかりにくい人、本当にさまざま。
内臓疾患を持っていて、障害者手帳を交付されるケースもあるんです。
以前紹介したヘルプマークがその証拠。
外見ではわかりにくい障害を持つ人のため、ヘルプマークがあるんです。
障害を持つ可能性は、人が生きている限り、永遠につきまとう課題だと思うんです。
もしかしたら、明日事故に遭うかもしれない。
誰かに傷つけられるかもしれない。
そんな故意や過失で障害を負ったとき、誰かを責め続けて生きますか?
答えはそうじゃないと思うんです。
そこから自分の人生を切り替え、新しい自分を見つけて頑張って行くことの方が、
よっぽど有意義な余生を送れますよね。
ハンディキャッパーとか、パラリンピックとか、
障害者を区切るのはある意味必要かもしれません。
でも、決して違う見方はしてはならないと思います。
大切なのは、同じ心を持った人間であること。
この世に、誰として同じ人間はいない。
それでも人を受容して、許容する優しさが広まればいい。
ハンディキャッパーの友人は、力仕事だってやります。
どんな過酷な労働条件でもやってのけます。
到底、私には真似できないことばかりです。
本当にすごいなって、人間ってすごいなって思いました。
そんな友人たちを見るたび、自分の心がリセットされる気がします。
みんな違ってみんないいって言葉知っていますか?
金子みすゞの一節です。
そうだな、
私も人から変わってるって言われることがあるけれど、でもいいんだ。
下の子の保育園に行くと、つくづくその一節がよみがえります。
同じ3歳なのに、みんな成長が違う。
うちの子はしゃべりが下手だけれど、ほかの子は上手。
だからハンディキャッパーという風に、
ガラス越しにいるような目で見てはいけない。
みなさん、そう思いませんか?